「知らなければ良かった」と思うかもしれない『がん治療』の話
これでいいのか「がん」治療。自分や家族を、必要以上の苦痛から守るために知っておきたい本当の話。
がんの方やそのご家族から、多くのご相談を受けております。特にステージ4と呼ばれる末期がんのご相談が増えてきました。
その方々に、告知することと、抗がん剤を使用しないことをおすすめしています。「がんは治せる病気」だと確信しているからです。
医師や病院まかせにしていてはいけないのです。
医師や病院を信用するなということではありません。患者やご家族が病状を知り、治療法の選択肢やリスクを知り、自分が治すんだ!くらいの気持ちで、治療法を選んでいくことが大切だと思います。
前回の「がんの話」に書いたように、がん細胞は弱いのです。
末期がんで余命数ヶ月と宣言されたのに、いつの間にかがんが消え退院する。これは奇跡ではありません。結果なのです。
ある男性の闘病を振り返って、がん治療について考えてみましょう。
がん発見。手術
48歳男性の場合。
ある年の1月、内視鏡による年一回の定期検診を受け、直径約2センチの胃がんが発見された。医師から「まだ初期の胃がんなので、取り除けばすぐに仕事に復帰できる」と説明をうけ、手術を決意する。
おそらく前の年の検査の時には、非常に小さくて見つからなかったのだろう。半年に一回の検査でも早期発見は難しいらしい。毎年のがん検診は、意味がなかったのか。
最初の手術が行われる。
手術後「初期のがんではなかったが、胃の四分の一を残し、切除した」との説明をうける。手術直後から、抗がん剤の点滴が行われた。
男性はこれで治ったと信じ、翌月の2月に退院。仕事に復帰する。
抗がん剤投与
実はこのとき医師は、この男性のがんが悪質で進行の速い「スキルスがん」で、腹膜播種(腹膜内にがん細胞が黒ゴマをまいたように広がっている状態になっている末期がん)だとわかっていた。
退院後は、経口の抗がん剤を毎日服用。
5月。再入院して、再発を防ぐためという理由で、抗がん剤の点滴治療を行った。
男性は医師を信じきっていたので、なんのためらいもなく従う。
この時使われた抗がん剤は「シスプラチン」。髪の毛は抜けなかったが、強い吐き気の副作用に苦しんだ。
「そもそも抗がん剤は胃がんのような固形がんには効かない。効くのは、急性白血病とか悪性リンパ腫など、ごく限られた部位のがんだけ。患者を抗がん剤の副作用で苦しめるだけ。」
それを、その男性の夫人が知ったのは、その3年後のことだった。このことは専門家も認めているにもかかわらず、日本では抗がん剤が必要以上に使われているのが現実なのである。
治ると思うから患者は抗がん剤治療を受ける。いくら副作用がきつくても、がまんする。それが、治るのではなくて「数カ月延命できるかできないか程度」だとわかっていたらどうだろう。副作用に苦しみながら部屋にこもるよりも、残された時間を有効に使う方を選んだのではないだろうか。まして、効果が期待できない抗がん剤投与ならば、なおさらのことだ。
がん再発
5月の抗がん剤治療の直後から、メスを入れた手術跡の線上がケロイド状に膨れあがっていた。そのうちに腫れ物状になったものが次第に大きくなり突起して、服を着るにも邪魔なほどになってくる。
8月、患者本人に対しては突起状の腫瘡を取るという説明で2回目の手術が行われる。 実はがんが再発していて、腹腔全体に広がり、すでに進行した「がん性腹膜炎」の状態だった。
手術でメスが入り組織が弱くなった部分に、がんは増殖しやすくなるのだ。
執刀医は患者の夫人に「これ以上手がつけられない」と説明。夫人はパニック状態に陥る。
「転移していることがわかっていたのにどうして意味のない手術をしたのか」
「がんの再発だということをはっきりいえば、患者本人が今後のことを考えることができたのに」
進行の早いスキルスがんだとしても、手術も抗がん剤治療もしないでいたら、逆にあと一年か二年、元気に仕事ができたかもしれない。
転院、そして大手術
夫人は医師や治療そのものに不信感を抱いた。
9月。周囲の勧めもあり、大学病院に転院。3度目の手術を決心したときに、あえて男性は記者会見を行った。
「私が侵されている本当の病名は、がんです」と公表。がんとの闘いを宣言した。
男性とは、人気アナウンサーの逸見政孝さん。1993年のことである。その会見の時、逸見さんは、がん性悪液質の状態。がんに体の抵抗力が負けていた。それは、顔つきや肌色を見ればがんの専門医なら誰でもわかる程だった。
それでも、内臓3kgを摘出する大手術が行われた。3度目の手術だ。手術時間は、大腿部の肉を腹部に移植する形成外科手術も含めて13時間に及んだ。
手術後も皮膚移植の痛みは相当なものだった。「こんな痛い思いをしたことはない」といってはいたが、どんなに痛くても寝たきりで動けないので七転八倒もできない。床ずれもできる。痛みと気分の悪さで、最期は言葉も出ないくらい苦しんでいた。後になって医師の間から、3度目の手術はすべきでなかったという議論がおこった。
腸閉塞の予防のための手術ということであったが、予防は不可能。それどころか、手術してメスが入った分、さらにがんが増殖してしまう。
症状が出てから処置を考えるのが普通のやり方。あの状態では病巣を取りきることはあり得ないし、3kgも臓器を取ったら、かえって体が弱ってしまうということは目に見えている。
治る可能性は1%もなかった。
それなのになぜあんな無謀な手術を行ったのか、理解できない。
再び抗がん剤投与
それでも、手術後、逸見さんは一時は歩けるまでに回復した。それだけ「生きたい」という意志が強かったのだろう。
逸見さんは順調に回復していくかにみえたが、10月、一時帰宅が予定されていた朝、突然腹痛を訴える。
腸閉茎が起こり、病状が急激に悪化。夫人の晴恵さんの反対にもかかわらず抗がん剤が投与される。
抗がん剤を投与してからは、もうぐったりして、気持ちが悪くて口もきけない状態が続く。12月、熱が40度以上に上がり容体が急変。やがて意識不明になる。
そしてクリスマスの日、家族に見守られながら永眠。
壮絶な闘いに幕を閉じた。
手術や抗がん剤で、治る見込みのない状態でのあの大手術は医学的にみても非常識。そのままにしておいたなら、それほど苦しまずにあと一年は生きられただろう。
今、患者が主役のがん治療が求められている。患者はがんや治療法をもっと知り、治療方法についても、意見できるようになるべきだ。がんよりも、その治療によって苦しめられている患者は少なくない。また、西洋医学で治せない、手のほどこしようがない、という判断があるのならば、手術や抗がん剤投与や放射線治療はしないべきではないだろうか。 治療中の患者の生活の質(クォリティー オブ ライフ)を考え、代替医療を取り入れ、希望を持ち続け、穏やかにすごすことのほうがどんなに幸せなことか。
もし、逸見さんに代替療法を薦める人がいれば、彼は今でもテレビで活躍していたかもしれない。
彼ほどの「生きたい」という意志があれば、がんの克服はむずかしくないのだ。
【参考文献】
■ガン専門医よ、真実を語れ/逸見晴恵・近藤 誠/文藝春秋
■私がガンを恐れなくなった理由/逸見春恵著/扶桑社
■ガン再発す/逸見政孝・逸見晴恵共著/角川書店
・・~~ 編集後記 ~~・・
「がん」は決して他人事ではありません。医師としてのがん治療と、家族の治してあげたいという気持ちと患者本人の生き方をまとめて、方向性を決めなければなりません。自分や家族が「がん」になったらどうするのか、がんになる前に話し合っておくことをお勧めします。もちろん「がんは治せる」ということを前提にして。
write by 詩(うた)
・・~~ see you! ~~・・
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